人気ブログランキング |

フランス の麒麟児 『Droz!!』_d0357629_15382727.jpg

ダビが崇拝するほどの刻印師と言えばBarre(パリ造幣局第17代目と18代目の刻印総監)

ダビの長年の研究でまとまった厳選「有意義的」情報と作品紹介を前に、ご紹介したよね

僕の心を一番動かしたメダル

19世紀のダビ刻印師「三位一体」

イエス様=Barre
聖母マリア様=Tiolier

3位に入るのはDrozなんです。


“Jean-Pierre DROZ”

フランス の麒麟児 『Droz!!』_d0357629_15380200.jpg


1746年スイス Neufchatelで誕生うう。

1764年二十歳でダビの祖国フランスに渡って、自然の成り行きで出会ってくるのは、当時パリ造幣局総監だったBenjamin Duvivier氏のアトリエに加わる。

大人になってすぐDrozはフランスとスイスの二重国籍取得する。

複雑機構などを発明する家族で生まれたお方ですから、流石に家族からの影響は侮れないね!すごい。

そこで、コイン刻印って言うよりコイン作りの機会改良に腕を発揮する。

彼の若き日の仕事内容は、実験的階段機械作り!
1780初頭、革命的かつ斬新的コイン作る機械を発明するんです”la Frappe en VIROLE”!あとで、ご説明しましょう。。。

その時の革命的「発明」(皮肉にも実際3年後フランス革命発起)でかの有名なEcu de 1786年ルイ16世 (Louis 16) Six (6)Livres銀貨の試作貨幣で自作の機械使ってエセーを作る。


フランス の麒麟児 『Droz!!』_d0357629_15401979.jpg

この機械のどこが凄いかっていうのは、
ダビがご説明しましょう!

簡略化して、言うと同時に(裏-表-縁)を一回で作れる機械なんです。

この当時にしてはの凄さがわかります???
Do you understand that amazing and revolutionary invention ????

難点としてはコストが高く、あと、偏見とヤキモチだらけの造幣局のお偉方が、
その時、新しい総監の地位に選ぶのは刻印師Dupre氏なのです。

Dupreには貴族階級のお友達が大勢いたので、まだMonarchie(王政)だったあの頃が、コネ次第って感じ。

すごく有能なのに、造幣局などのその不理解と汚いやり方にムカついたせいか、1787年イギリスに「亡命」的移動するんですよ!

それも、莫大な知識と発明したものも持って行ったのです。

イギリスに渡ったきっかけはイギリス刻印界で既に著名なBoultonさんが手助けした。その後BoultonさんとWattさんのアトリエでDrozが作った機械をあそこで活躍させる。

英国では知名度の高い彫刻家発明家になるううううう

途中で、フランス革命が1789年に発起して、翌年1790年のConcours Monetaireが発表される!

もうて自分の当然の地位をやっと取れるチャンスと考えて、その時フランスに帰るが、とんでもない悪運っていうか、ご縁の正反対で悪い人に引っかかります。

それは私利私慾だったComite Monetaire(コイン委員会)のメンバーの一人に、そのConcours用でDrozが作った8個のエキュを渡す。


フランス の麒麟児 『Droz!!』_d0357629_15405330.jpg


で、どうなると思います?

その委員会の人が一切、それらのコイン作品を委員会に紹介も見せることせず、一票ももらえないまま終わり。
最低だね 👿 可哀相にいい。

黒幕?同じConcoursの刻印師Augustin Dupresが1791年議会の前で(敵対関係にあった)

Drozが作った機械の、

・発明権が怪しい~
・維持費が高すぎる~

などと言って、Drozは
煙がられ、Concours受賞者はDupresとなり、


フランス の麒麟児 『Droz!!』_d0357629_15411038.jpg


そして、結果的には次期パリ造幣局総監の座に就く!
Drozがイギリスに渡ったのは自国が嫌で、頭脳流出って感じですね(同じくダビが日本に来たと同じ)。

だが、数年後、Napoleon第一帝政となり、またフランスに戻る。。。

Baguetteの考案者であるNapoleon Bonaparte (ナポレオンボナパルト)がDrozの凄さを歓迎して、
Tiolier(ナポレオン一世のコインのほとんど全部ううう刻印した刻印師)と共同で素晴らしいコインを刻印する!

その代表作は無冠有冠タイプ20と40フラン金貨 !


フランス の麒麟児 『Droz!!』_d0357629_15412908.jpg


知らない人ってもはや日本国内では、いるまい?

1804年から1814年までの間(10年一昔)刻印師の世界で極珍事と言っても過言ではないことが起きた。
それは、二重刻印であります。

(パリ造幣局総監Tiolierの「T」と,その上「J.P.DROZ 」ナポレオンの首の凹凸の部分)
パリ造幣局総監Tiolierさんがどれだけ自慢の弟子Droz師を寵愛してたかがわかるね。

王政復興などで次期総監に成れる筈だった、ボナパルティスト派の彼が、慣れずにフランス銀行側に注文された、
傑作級のメダル、Jetonなど。。。他界されるまでの間に幾つか遺して。。

価値的には未だに過小評価だが、外観美は目の保養!

あああそれと、12歳の時だったか、故郷のBourgogne地方で通ってた中学校の校長先生(女性)が

40フラン金貨(有冠)首につけていたので、極印象的で、ダビにとってDrozのロマンが幼いから始めていたんだなあああと懐かしく思うううう。。。

そして、話が脱線したが、Drozの作った機械技法が偽物対策として採用される!

しかし晩年、やっと最高傑作ができたときに、ナポレオンが百日天下で失脚…

ナポレオンを味方していた方々の魔女狩り開始…

言うまでもなくTiolierDrozも火あぶりの刑にはならなかったが再び追い返される。

そして遺憾なことに1826年に永眠。。。

Droz様、ご冥福をお祈りします。

革命前、Drozが若い頃に発明した(現代コインの機械の先祖様)機械が1830年から全ヨーロッパに普及!
もっと前にDroz様の才能を認めろよおおお 👿

死後、生前の凄さと素晴らしい手腕がどこでも認めらるようになった。

ああいう才能だらけの時代の先駆者が悲しい事に、才能発揮できずままに素晴らしいコインを幾つかだけ残してくれたことに感謝感激雨あられ。

David Smith


by numisma | 2016-10-05 00:00 | コインの歴史

僕の心を一番動かしたメダル_d0357629_15140582.jpg


前回ご紹介したのは最も高価な金メダルだったのですが、

高いのでなく、

僕の心を一番動かしたメダルはぁぁあ、なぁにぃぃいいい

って聞かないのぉぉぉおおお??

ダビの場合は、その感銘的金メダルは実は1855年のメダル。



その伝家の宝刀になるほどのものは以下の通り、何時間もかけて日本語で書いたのをちゃんと読んでくださいね。

読まなかったら今度からもう書かんからな!

何と言っても、現代のパリの風景があるのはナポレオン三世のお蔭!
そして大規模な工事が始められたのは1855年パリ万博のお蔭でもあるうう!

僕の心を一番動かしたメダル_d0357629_15142128.jpg


1855年のパリ万国博覧会は、1855年5月15日から11月15日までフランス・パリのChamp de Marsシャン・ド・マルス公園で開催された国際博覧会。
フランス素養のある方々のために万博の正式名称は
「Exposition Universelle des produits de l’Agriculture, de l’Industrie et des Beaux-Arts de Paris 1855」
「和訳:美術-産業-農産物の万国博覧会」!

(ダビちゃんは生き字引で良かったねええ 😛 )

トータルで34ヶ国が参加し、開催中516万人が来場しました。500万人!!!
ええ??普通って???普通なわけないよおお!

160年前の人口って知らないでしょう!

「ダビも知らないいいい」なんてないよね??

と思う貴方!ご名答!無論知ってる! (っていうか昔からフランス歴史が大好き)
兎に角、万博当時は3600万ちょいだが、人口の90以上は田園生活。

もっと興味深いコト教えようか?

1850年前後の日本人口ってね、たった2700万ぐらいなんだよ!
※現在2016年8月時点で日本人口1億2600万、フランス共和国6600万

日本で一億増えたって凄いなあ
今時の日本人が全然子供作らないのにいい!

ああすまぬ!
少子化問題じゃなく、パリ万博の話だったのおお!ワシはまた脱線!

フランス及びパリにおいて初めての国際博覧会だったんです。
何と、8月にはヴィクトリア女王も来仏され、パリの景観の余りにもの変わり様に、驚愕されたと記録に残っています。


■パリ万国博覧会の素晴らしさの理由とは!?

1852年に皇帝となったナポレオン3世の統治下で開催された、
この第1回パリ万国博覧会は当時のフランスにとって一大イベントでした。
1851年の世界初ロンドン万国博覧会を追って、
さらにはロンドンの水晶宮を上回るべく産業宮(Palais de l’Industrie)が建設されました。
第1回パリ万博の産業・芸術展示品は前回のロンドンでの展示品に勝るものであったとされています。

公式の報告によると、会期中の来場者は5.162.330人 (516万2330人)で、
そのうち約420万人が産業品展示会場に入場し、
約90万人が芸術展示 会場に入場しました。

開催に要した費用が約11.340.000フランだったのに対し、
利益はたった3.200.000フラン(8.000.000フランの赤字、8割)。
会場の広さは16ヘクタールで、34ヶ国が参加しました。

芸術展示: 4979作品、2176人のアーティスト(フランス人1072人) !

その時のDelacroix氏(ドラクロワ)は57歳、Manet(マネ)23歳、Monet(モネ15歳)、Renoir (ルノワール)14歳) !

余談、
~ナポレオン三世の寛大なトコロ?~
万博の工事に携わった労働者達に
105.000の無料券の配布を命じたのですが、実際、使われたのは1万枚だけ。
陛下がなんて優しいお心!
曜日で変わる入場料の謎とは?

月曜日から木曜日まで1フラン

金曜日は5フラン!!!
(ブルジョア級でなければ高すぎて入れない)
金曜日はブルジョア、金持ちや貴族のための日だと知られていました。

土曜:50センチム

日曜日:20センチム (一般労働者の唯一の安息日でした)

金曜日と日曜日で25倍の違いなんです!!

当時の日当はそこそこいい仕事で、2フランでした!

いよいよ閉幕の授賞式!

1855年11月15日(万博最後の日)授賞式に、ナポレオン3世と陛下のキサキ、妃ジェニー殿下、
ルイ・ナポレオン殿下も出席され、授与された金銀銅のメダルはダビちゃんにとって様的存在である第17代目総監刻印氏Barre遺作です!

僕の心を一番動かしたメダル_d0357629_15144043.jpg

僕の心を一番動かしたメダル_d0357629_15145246.jpg

僕の心を一番動かしたメダル_d0357629_15150160.jpg


数ヶ月前に紹介したが、同年5月に急死、(死因は、わからないが年始から体調崩してたので腹上死でないのが確か)
Anywayこの遺作の黄金のメダルが最高!!!

その発行数は僅か112個!!
1個当たりが155から160grまであるので約20キロ分です!

Grande medaille d’honneur en or (Albert Barre)
最高名誉金メダル (Barre氏の遺作!!)

超弩級!それに22金 (純金分140グラムぐらい!!!)60ミリ。
だからダビが金メダル大好きなんだよねええ
それと、ナポレオン三世の手で渡されたものも同然よおおお!

日当2フランの当時、この金メダルの価値は計り知れませんね。

全34国が参加しながら、経済大国の中で唯一参加しなかったのはロシア。
今のクリミア侵略と同様、クリミア戦争を引き起こし、いわば全世界から総すかんをくらったのです。
※クリミア戦争:1853年から1856年の間、クリミア半島などを舞台として行われた戦争。

僅か112個が作られ、授賞者の名前の刻印がないものは『バージンゴールド』と呼ばれ、
完璧(パーフェクト)な存在として、ナポレオンコレクターに知られる逸品!!

僕の心を一番動かしたメダル_d0357629_15151550.jpg

僕の心を一番動かしたメダル_d0357629_15152646.jpg


数々の戦争、災難、盗難・・・160年もの時を経て、112枚のうち、現存数はごくわずか!

数十年前からダビの研究の対象のこのメダルの授賞者の名前が刻印されてない個数は知ってる限りとりあえず2個!

刻印ありのもの、その多くはアタリや傷がありますので、FDC (Fleur de coin完璧状態)の状態は皆無!
唯一無二と言える所以です。
(Virgin Goldの2つは日本人コレクターの所有物でMS62)

数百万円だった時代は遠い。
ダビみたいな人が研究心から、半生かけて実際調べてなかったら、数字しか呑めない奴らは「おおおお112個もあんのかああよ!?じゃあ多いからいつでも買えるよ」と。。。現状把握できないものが多すぎるうう。。

だからこそ、集にも資にもネットワークが大事すぎぃ。

僕の心を一番動かしたメダル_d0357629_15154299.jpg


美術性といい、魅了される緻密な意匠といい、素晴らしすぎるハイリリーフな感じのこのメダルいいねえ。

書かなくていいかもしれんが、1855年に急死したJean-Jacques Barreの最高遺作の雛型を(息子のAlbertが)自分の名前に変えたコトはコレクター同士でも知られてないぐらい。それ以降のコイン発行に使った雛形。

色んな検索の中から面白いと思って厳選し、訳しておいたのは例えば、万博で紹介された機械の例

One : Loysel氏のエスプレッソ用コーヒーメーカー (1時間で2000杯可能)のほかに、芝刈り、Moore氏の洗濯機、Coltコルト氏の6発銃、Singer氏のミシン。

Two : 水に浮く鉄骨のセメント製の船(3メートル600キロ)現在Douarnenez博物館に展示中

Three : Saint Gobain氏の世界最大の鏡(縦5、37メートル、横3、36メートル)
当時世界最大だったんですね!


最重要!!!
■ワインとナポレオンの切っても切れない繋がりとは? Le classement des vins de 1855 !

この万国博覧会から公式にボルドーワインの格付けが始まりました!
(ワイン好きにはたまらない話です!)

【赤ワインの特級60種類/白ワインの特級27種類】

1855年のパリ万国博覧会の際、皇帝ナポレオン3世は、世界中から集まる訪問客に向けて、フランスのボルドーワインの展示に格付けが必要だと考えました。
ワイン仲買人は、シャトー(ブドウ農園)の評判や市場価格に従って、ワインをランク付けしました。 当時は市場価格がワインの品質に直結していたのです。
その結果が、1855年以来のボルドーワインの公式格付けとなりました。

ワインはその重要度により第1級~第5級(グラン・クリュ)にランク付けされました。
リストに挙げられた赤ワインは、グラーブワインのシャトー・オー・ブリオン以外はすべて、
メドック地区の産出です。
白ワインは赤ワインよりも重要度はかなり劣り、
ソーテルヌとバルサックの甘いワイン(貴腐ワイン)のみ第1級と第2級に格付けされました。


日本では十分に知られていませんが、このメダルは美術的な価値からも、ヨーロッパでは希少性の高いものです。

8月の寄稿で書いた通り、金メダルは地金の数倍から数百倍になりますが、

18世紀ー19世紀で、20grから40grの金メダルでさえ、日本円で1,500万円以上のものは多数存在します。
コインの認知度の高まりと共に、今後ますます高くなっていくでしょう!!

では、みんなはお盆休みですね!良い休日を!

David Smith


by numisma | 2016-08-11 00:00 | コインの歴史